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房総太巻き寿司

2021年03月01日

千葉県の農林水産業

千葉県は温暖な気候と、豊かな海、肥沃な土地に恵まれ、昔から農林水産業が盛んでした。 三方を海に囲まれ、イワシ、サバ、ブリ、イセエビ、アサリ、アワビ、ヒジキなど海の幸も多く、漁獲量は全国8位となっています。米や野菜の生産も盛んで、農業産出額は全国4位で、あらゆる農林水産物がそろう食の宝庫です。

また、牛乳産出量も全国5位で、日本の酪農発祥の地でもあります。 徳川八代将軍吉宗の時代に、南房総の嶺岡の一帯に、牧場が作られインド産の白牛を輸入し、乳製品を製造、滋養強壮の薬として珍重しました。

千葉県の海苔の生産量は全国8位、米は9位となっています。

房総太巻き寿司

房総太巻き寿司は千葉県の産物である海苔と米を使い、房総半島中部の、旧上総地方(市原、袖ケ浦、君津、木更津、長生、東金、山武)で、冠婚葬祭や、地域の集まりの時のごちそうとして作られてきました。

海苔は江戸時代から自然養殖され、品川~大森で漁師により採集されていました。

江戸後期に大森で海苔問屋を営んでいた近江屋甚兵衛(1766~1844年)が、遠浅の海で川の水の流れる場所には海苔ができると確信し、千葉県の内房の川の河口にある浦安、五井、木更津を訪れました。ノリ養殖のためのヒビをたてさせてもらいたいと頼みましたが断られてしまいました。そして、小糸川河口の君津市人見村で名主の協力を得られ、試行錯誤し文政6年(1822年)「上総海苔」の栽培に成功しました。君津市などの内房では、太巻き寿司は大正時代から作られ、「二つ巴、三つ巴、文銭、三食巻き」などの「伝承ずし」が地域で受け継がれていました。

市原市では養老川の河口で、明治33年から養殖が始まりました。ノリの種付け場として、市原は良質の海苔が採れる一大生産地として栄えました。産地でキズ海苔などもあり、高価なノリも使えたため冠婚葬祭のおもてなし料理として、房総太巻き寿司づくりが盛んでした。各家庭の味として「チューリップ」「二つの花」「渦巻き」「サザエ」などの柄が受け継がれてきました。現在は巻き手の高齢化が進んでいます。

市原市はコンビナート建設にともない1960年代に海が埋め立てられ、現在は、海苔は木更津市、富津市で生産されています。

地産地消、米消費の拡大

房総太巻き寿司は、昭和の初めに海苔が一般に普及されようになったため、戦前からいろいろな具材を芯にして巻く方法で、家庭や地域で作られていました。 戦後、豊かな時代に入り、巻き方がさまざまに工夫されるようになり、花、動物、文字、キャラクターなど、多彩な巻き方が、創造されています。
最近では、ごはんを主食にした、日本型の食生活のよさが見直されています。栄養価の高い海苔、酢を使い、千葉産の米を使った房総太巻き寿司も、地産地消、米消費の拡大という点で、再評価されています。 また、「食育」のテーマのひとつである郷土料理の伝承という面でも注目され、次世代へ是非伝えて生きたい食文化だと思います。

太巻き寿司ギャラリー

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